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ミナミサンのいうとおり!?

「K!SPO」等の野球コラムで人気のライター南 郁夫氏に、日常のあれこれをテーマに綴ってもらってます。

第6回「カルテット」

 

ドラマ「カルテット」に

「みぞみぞ」している人は

たくさんいると思う。

 

いよいよ最終回らしいが

久しぶりに

「一瞬も見逃せない」「聞き逃せない」

ドラマであった。

 

ずっとその世界に浸っていたいか?

がドラマの判定基準だと思うが、

四人の暮らしを永遠に見ていたい

と思わせる「カルテット」であった。

 

主人公たちはそれぞれ複雑な人生を

背負ってはいるのだが、

泣いたりわめいたりはしない。

 

実に大人なドラマなのである。

「こうあるべき」なんて誰も言わない。

言えない。

 

彼らは「音楽」という共通言語で結ばれた

微妙な距離感の中で、ひっそりと

しかしピュアな心を秘めて生きている。

 

このドラマには本当に聞き逃せない

よく練れた細かい「会話」が飛び交い、

それが重要な要素であり魅力なのだが。

 

ドラマのクライマックスで

すずめが言う

「好き(愛)はこぼれるものでしょ」

という言葉が一番好きだ。

 

このドラマは「言葉」で大いに遊んでいるのに、

本当のことは言葉じゃなくて

「その人からこぼれてくる」ものだと。

そのこぼれるものを私は信じるというのだ。

 

感動するやん。

 

本当の家族を求め続けた真紀さんが

最後に選んだ曲はスメタナ

「わが祖国」であった。

 

実に実に洒落たドラマだと思う。

 

南郁夫

野球観察者

スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中

http://kobe-kspo.com

     ↑

オリックスバッファローズのT岡田選手や安達選手、田口荘2軍監督の
 インタビューやマック鈴木さんなどなど話題豊富なKスポです。
 そう、カルテットを観て何回心が熱くなったことだろう。
 ミナミサンが短くこのドラマを語るとしたらどんな風になるのか
 興味深くてお題にしてみました。

第5回「ミレービスケット」

 

たまたまスーパーで見つけて

そのパケージの「昭和感」につられて

購入した、ミレービスケット。

 

食べてみると止まらない。

 

「なぜ今までこれを知らなかったのだ?」

というほどの驚きの味覚と食感で

あっという間に一袋を完食してしまう。

 

調べてみると高知ではずっと有名

だったのが最近全国的に密かなブームとかで、

とにかくその「中毒性」が話題らしいのだ。

 

そう、とにかく食べだしたら止まらない。

その感覚は食べてみないとわからない。

程よい塩味と揚げ感が・・。ああ。

 

この「何でもあり」の食の飽和時代に

その昔の「かっぱえびせん」初登場時のような

熱狂が来ているのである。私に。

 

確かにヤバいよ、完食したら。

カロリー原発だよ。

 

でもその

「あかんあかんあかん」と思いながら

食べきってしまうその罪悪感が

久しぶりの人生のスパイスなのだ。

 

まさに正しいジャンク菓子である。

 

試されている。

人間としての資質が試されちゃってる。

お菓子ごときに試されている。

 

ミレービスケットとの戦いは

しばらく続く。

 

 

 南郁夫

野球観察者

スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中

http://kobe-kspo.com

 

*まだ食べたことのない方は是非お試しあれ。
 私も途中で止めることができませんでした。
 ミレーばんざい!
 

第4回「嘘」

 
大人たちはことあるごとに子供に
「嘘つきは泥棒の始まりだ」と言い、
嘘がいかに悪いことかを教え込む。
 
しかし子供が
「勉強なんてしたくありません」
「あんたみたいな大人になりたくありません」
「まだ泥棒の方がマシです」
などと正直に言うと、
烈火のごとく叱るのである。
 
たいていの子供はそこで
「本当のことを言うのもまずいらしい」
と学び、
大人が喜びそうな嘘の言動をくり返して
その後の人生を送ることになる。
 
なかなかうまくできている。
 
例えば
一緒にいたくない相手にお茶を誘われて
本当は用事はないのに
「今日は用事があるので」
と断るようなことは、誰でもやっている。
 
がしかし、
たまに教育の行き届いた人がいて
「用事がある=嘘である=嘘は罪である」
と考えて、本心では一緒にいたくない相手と
お茶をして無為な時間を過ごす人がいる。
 
その人は自分に嘘をついているのだが、
そこに気づいていない。
自分につく嘘のことまでは
誰も教えてくれなかったからである。
 
自分にだけは嘘をつきたくない。
 
大切な人生を無駄にしてしまわないため
私の理想の答えはこうである。
 
「用事はないけど
 あんたなんかと付き合う時間はないっ」
 
なんと正直な!やはり正直は気持ちいい。
がしかし・・なかなかそうはいかない。
そういう人生もまた、しんどそうである。
 
自分を守るための嘘は「よし」としている。
幸い、
それでまだ泥棒にはなっていないようである。
 
ルパンくらいにならなってもいいのだが。
 
南郁夫
野球観察者
スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中
 
*ここ3日連続で無意識にある歌を口ずさんでいたのです。
 昭和歌謡、中条きよしの「嘘」。
 男の作詞家が書いた女目線の歌詞に違和感を覚えながら 
 何故3日連続で、、。だからミナミさんのお題にしてみました。
 

第3回「散歩」

考えてみれば
 
メシ食って
やらねばならぬことして
好きなことして
散歩して
寝て
 
を延々くり返して、私の人生はできている。
 
散歩は小学生の頃からしていた。
散歩する小学生を、想像できるだろうか。
 
散歩とは
決して目的があってはならない
行き先があってはならない
ものである。
 
健康ウォーキングとか
イデアを得るためとか
目的地への過程としての徒歩は
散歩ではない。
 
意味があってはならないのだ。
 
ただ単に思いつくまま道を辿り
行き止まって「へ」と笑い
思わぬところに出て「あ」とつぶやき
空を見上げて「ふ」と深呼吸するのだ。
 
実利主義の人はこれを「徘徊」と呼ぶ。
 
しかし散歩なくして私の人生は
回っていかないのである。
 
なぜか?と問われても
食う・寝ると同じような行為なので
説明はできない。
 
しつこいようだが、意味も目的もないのだ。
 
敬愛する作家「内田百閒」先生は
戦後、日本人が生きるために必死な状況で
「用もないのに借金をして電車に乗る」
ということを思いつき
これを芸術にまで高めた。
 
やはり分かっている人は分かっている。
 
ん?しかし先生の「阿房列車」シリーズは
いまだに売れ続けているベストセラーだから、
意味はあったのか。
 
 
あれまあ。
 
 
南郁夫
野球観察者
スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中
 
*健康に一番いいのは適度な散歩だとニュースで聞いた。
 心身ともに健康になるのだそう。
 ミナミさんは毎日散歩を欠かさないらしい。
 
 

 

第2回「友達」

 
団体行動は苦手だし、つるむのが嫌い。
お酒も飲まない。
なので、友達と呼べる人は極めて少ない。
それで別に困ったことはない。
 
パートナーと若干の知り合いがいてれば、
生きていけるのだ。
 
友達信仰の強い人の話を聞いていると、
友達は困ったらみんなで助けてくれたり、
悩み話を聞いてくれるらしい。
 
そういうことなら、
あんまりそういうのは、いらないなと思う。
自分のことは自分で解決したい。
 
自分の人生で友達と呼べる
数少ない人達とは、
共通の分野や人生観で
影響や刺激を受け合った仲間だ。
 
そこには程よい緊張感があるので、
一緒にいても愚痴や相談なんてことには
ならない。
 
そして魂の部分で繋がっているので
しょっちゅう会うわけではない。
それが友達。
 
つい最近。
 
遠方に住む一番の親友が亡くなったと
人づてに聞いた。
重い病気の末の最期だったらしいが、
病床からの連絡はなかった。
 
私はそれを、薄情だとは思わない。
自分もそうするだろうと思う。
 
大切な友達を困らせたくないからだ。
 
南郁夫
野球観察者
スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中
 
 
*ある朝、歯を磨きながら、ふと「友達って何かな」と思った。
 いろいろな経験を積んできたミナミさんはなんて書くのか
 興味津々でした。
 
*このブログは私がミナミ氏に「お題」を出して
 ちゃっちゃと書いてもらおうという企画です
 
 
 

 

第1回「春の予感」

 
寒さが苦手なものにとっては、
あまりにもあまりにも長すぎる冬。
 
首をすくめたり、手をもんだり、背中を丸めたり。
あれこれ着込んでいるうちに、外出を断念したり。
もう「南への逃走」しかないと本気で決心しそうな、
限界ギリギリで気絶寸前の、その頃合に。
 
冷たい風の中に少しだけ
「もうちょいで、寒いの終わりですからっ」
という「温かみ」をほんのり感じる瞬間が、訪れる。
 
これを称して「春の予感」という。
 
それで毎年何とか逃走を踏みとどまっているのであるが、
この「予感」の正体て、なんなのだろうか。
 
単に気温から呼び起こされる感覚?
 
それなら同じ気温の「秋」にも
「春の予感」がしそうなものだが、
それは寂しい「冬の予感」に感じてしまうではないか。
 
なんだかエアコンの冷房26度と暖房26度て
同じなのか?みたいな話になってしまった。
 
多分、もっと「匂い」など根源的な「何か」を
五感が感じているのではないか?という程度の
適当な結論で、満足したい。
 
春が来るなら、何でもいいのだ。
 
ところで。
「春の予感」を感じた瞬間に心が夢想するのは
開放感や希望などポジティブな甘い感覚ばかりだが。
 
現実の人生では春になったからといって
いいことばかりが起こったことはない気がする。
入学や就職のイメージって、その真逆だし。個人的には。
 
まあ幻想で生きのびていきなさい、ということか。
 
と。またまた適当すぎる結論だが、
春が来るなら、冬が終わるなら、
何でもいいのだ。
 
南郁夫
野球観察者
スポーツと健康のWEB &FREEマガジン「K!SPO(ケースポ)」で野球コラム掲載中
 
*このブログは私がミナミ氏に「お題」を出して
 ちゃっちゃと書いてもらおうという企画です
 
*あなたもミナミ氏になにか書いてもらいませんか?
 「お題」募集中です!